心と体・ストレス
心と体は相互に影響し合う──心療内科のコンセプト
どんな病気でも、心と体が互いに影響
私たちの心と体はいつも相互に影響し合っています。これは病気の場合にも当てはまります。心の病気とされているうつ病を例にとりましょう。うつ病になると食欲不振や便秘、頭痛など、さまざまな体の症状が出ます。
体の病気とされている風邪ではどうでしょうか。これはウイルスが原因となる体の病気ですが、やる気が失せたり、イライラしたりしやすくなります。
心と体が相互に影響し合うという関係は心療内科の病気においては特に顕著です。
心療内科は心身症を扱う科
一般的には、心療内科は「軽症の精神科のこと」だと理解されているようです。医師仲間でもそう理解している人が少なくないのが実情ですが、本当はちょっと違います。
心療内科は本来は「体の病気ではあるが、心の影響を受けやすい病気(心身症)を扱う科」なのです。心身症の範囲は広く、例えば以下のような病気です。
気管支喘息、高血圧、心筋梗塞、狭心症、胃十二指腸潰瘍、過敏性腸症候群、糖尿病、甲状腺機能亢進症、更年期障害、関節リウマチ、頭痛、慢性疼痛、アトピー性皮膚炎、円形脱毛症、慢性蕁麻疹
心療内科は身体科を補完
この病気のリストを見た人は「心療内科だけでそんなに沢山の病気を診るのは無理では?」と疑問に思うでしょう。その通りです。ご存じのように医学の進歩は凄まじく、また高度に細分化、専門化されていて、心療内科だけではとうていカバーできません。
しかしながら、医学の細分化や専門化には大きな弊害があります。それは人間を心と体を含めた生き物として把握するという視点が曖昧になりやすいということです。
心療内科にはそうした欠点を補う役割があります。このため、内科や婦人科などの身体科の治療だけでは改善が不十分なケースや、体の症状があるのに検査をしても異常が見つからないケースを扱います。
心療内科はストレスを診る科
私たちは日常的にストレスに遭遇しています。精神的や物理的ストレスのために生じる症状は多彩です。身体症状としては不眠、食欲不振、腹部違和感、便通異常、疲労倦怠感、めまいといった体調不良があります。また精神症状としてはイライラや不安、緊張、焦燥感、抑うつ気分などがあります。
現代社会においてストレスが無くなることはないでしょうし、ストレス自体は悪いものとは限りません。しかしストレスによってその人本来の生活や行動に支障を来しているなら、症状軽減やストレス対策が必要でしょう。心療内科はその役割を担っています。
心療内科でよく診る病気
では実際的には心療内科はどんな病気を診るのでしょうか。当科を受診する患者さんで多いのは次のような病気です。
自律神経失調症(身体表現性障害、身体症状性障害)
うつ病、うつ状態
過敏性腸症候群(IBS 下痢型、交代型、ガス型)、呑気症、自臭症
パニック障害、不安障害、空間恐怖
摂食障害(過食症、拒食症)
その他 :不眠症、頭痛、線維筋痛症、慢性疼痛、多汗症、頻尿など
ストレス関連 :適応障害、対人緊張(社会不安)、人間関係など
参考:精神科の病気について
なお以下の病気については、専門外のため、精神科受診を勧めています。
統合失調症、躁うつ病、アルコール依存症、てんかん、発達障害など
「緊張」でわかる心と体の関係
心療内科ではしばしば「心身相関」という言葉を使います。これは心と体はお互いに影響し合っているという意味なのですが、残念ながらそのメカニズムの解明が不十分なため、説得力に欠くのが実情でしょう。
しかし「心と体」がお互いに影響し合っている、と理解すると実際に役立つことがいくつもあるのです。
ここでは「緊張」を例に考えましょう。入学試験や入社試験の会場では誰でも緊張します。「果たして実力が出せるのか」「予想していない問題が出たらどうしょう」などと考えて、心に余裕がなくなり、思わぬミスが出たりします。また体はこわばり、口は渇き、体が熱くなったり逆に冷えたりします。
これでもわかるように一般的には心が緊張したときは体も緊張しますし、逆に体が緊張したときは心も緊張します。
これは一方が緩めば、もう一方も緩むことも意味するので、これを利用して緊張を軽くしましょう。
入学試験や入社試験の会場で「もっと落ち着いて」とか「リラックスしよう」といくら自分に言い聞かせても、なかなかうまくいきません。しかしそんな場面でも体を緩めることは可能でしょう。
緊張すると体全体に力が入り、肩が上がります。まずこれを緩めましょう。首から肩に注目するのがポイントです。自分なりの方法で構いません。
私も緊張しやすい方なの自分でもときどきやります。私の場合は「両肩が上がっている」と気づいたら緩めるように心がけるようにしたところ、今では「肩を緩めよう」としなくても「意識を両肩に向ける」だけで、肩が緩み、無駄な緊張を減らせるようになりました。
次に、首から肩の緊張が緩んだら、今度は深呼吸をしましょう。これも自己流で構いません。好みの問題かもしれませんが、私は大きく胸を膨らますやり方よりも、腹式呼吸の方が緊張が緩む印象を持っています。腹式呼吸にもいろんなやり方がありますが、慣れないうちは単純にお腹を膨らませたり凹ましたりするだけでも効果があります。
たったこれだけの「体」を緩める方法を実行するだけで「心」も緩みます。ただ本当に緊張している場面では、緩む程度はごく僅かかもしれません。それでも実際にやってみることで、少なくとも「心と体はお互いに影響し合っている」という点は実感できるのではないでしょうか。
「食欲不振」でわかる心と体の関係
うつ病(うつ状態)の患者さんの大半は「食欲がない」と訴えます。しかしその中身は二通りあります。一つは「お腹は空くが食欲がない」、もう一つは「お腹も空かないし食欲もない」です。
うつ状態になってさほど時間が経っていない人や軽症の人は、たいてい「お腹は空くのですけど、食べたいという気持にならないのです」という表現をします。ところが何カ月もうつ状態が続いたり、重症化すると「お腹も空かない」に変化します。
つまりうつ状態になっても、初期のうちは食べたものを消化する機能や「空腹かどうか」を判断する脳機能は正常なのです。つまり心(心理状態)が不調なため食欲不振になっているだけで、体の方はまだ深刻な事態ではないのです。それでも放っておくと「お腹も空かない」状態に変化する可能性があります。
このように特にストレスによって生じるうつ状態の場合、「心」の変調が「体」の変調よりも先に出現して、その後「心」につられるように「体」の変調も出現するというパターンがよく見られます。
こんなとき、速やかにうつ状態から脱するためにはどうすればいいのでしょうか。それは「お腹も空かないし食欲もない」という状態にならない前に食欲を回復させることです。
心と体はお互いに関係あるので、食欲が改善することでうつ状態も改善が期待できるのです。そこで私は体重が減っている人には、食欲改善作用のある胃腸薬や漢方薬を勧めたり、抗うつ剤を処方することになった場合は食欲改善が期待できそうな種類のものを優先して処方するようにしています。
もっとも、患者さんの中には「無理して食べている」と話す人がいますが、無理すると胃腸に負担がかかるので、無理してまで食べる必要があるかどうかは疑問です。
「感じ」で悩みを軽くする──フォーカシングと私の体験
お願い。この方法を試してみたいと考えた方に
以下で話すことは身体感覚を活用して「一人で悩みを軽くする」方法です。誰でも手軽に試せます。ただし習い事などと同じく「自分に合う、合わない」または「向き不向き」はあります。
合う合わないを検討する際に、一つの目印となるのが「論理(理屈)と感情」です。
たとえば感情よりも理屈が優先というタイプの人は、コツを掴むのが難しい可能性があります。いったん考えるの止めて自分の意識を感覚に向けるのが苦手な場合が多いからです。
逆に、感情が優先というタイプの人は、この方法が感情をさらに刺激してしまう可能性があります。「感覚」は感情と繋がっています。感情の揺らぎは必ず感覚に影響を与えますが、逆に感覚が変化すると感情の揺らぎを生む可能性があるからです。
この他、うつ状態や不安が強いとき、悩みが深刻なときなどでは、未経験者は避けた方がよいでしょう。
このような問題が少ない、理屈も感情もホドホドの、普通の人なら、最初のサワリだけでも二、三回、試してみてください。そしてこれが悩みの改善や心の健康に繋がると感じたなら、日常生活に取り入れてください。もし合わないとか、却って悪くなると感じたなら、その時点で終わりにしてください。
当科に通院している患者さんなら、その人に合いそうかどうかを含めてアトバイスします。
「感じ」は悩みを軽くするツールとして使える
はじめに私自身のことを書いておきます。私も悩むことがよくあります。しかし、悩んだ結果、問題が解決したことは少ないです。解決のメドがないから悩むのですから、当然そうなります。つまり、私も悩みを抱えながら日々を過ごしている、というのが現状です。ですから「悩んだときの解決法」は私も思いつきません。
ただ、悩んだときに「感じ(フェルトセンス)」を活用したら、悩みが軽くなった、という体験なら何度もあります。
ちょっとした練習は必要ですが、誰でもそのやり方が習得できます。また、悩んだときだけでなく、何となく調子が悪いと感じたり、気分が落ち込んだりした際にも役立ちます。
それだけではありません。悩みを軽くできると、結果的に悩みの解決に繋がることさえあります。それというのも、悩みに悩むという状態のときは、本人としては一生懸命、考えているのですが、実際は同じ考えが堂々巡りしているだけのことが多いものです。しかし悩みが軽くなると、この堂々巡り状態から抜け出し、違った角度から問題に取り組むことが可能になるからです。
なお身体感覚である「感じ(フェルトセンス)」を活用する方法は私のオリジナルではなく、フォーカシングという心理技法の一部として以前から使われているものです。フォーカシングが世に出たのはE・ジェンドリン(1926-2017)が「フォーカシング(1978)」を出版してからなので、もう半世紀近く経ったことになります。
しかし未だに、一部のカウンセラーや教育関係者などが活用している程度に留まっています。なぜ、もっと広まらないのかについては、いくつかの要因があるでしょうが、その一つとしては「感じ(フェルトセンス)」は体験しない限り分からない、という事情がありそうです。この他に(標準的な)フォーカシングのやり方が、「とっつきにくい」という気持にさせてしまうのかもしれません。
「感じ」は実際に一度でも体験できると、後は簡単に分かるものです。またフォーカシングを知らなくても、「感じ」を活用するだけでも十分、毎日の生活に役立つと私は考えています。
ぜひ「感じ」を活用して、悩みに振り回されない毎日にしましょう。
「感じで悩みを軽くする」私の体験 その1
「感じ」がどんなものかを知ってもらうため、私の体験談を話します。ずいぶん昔のことですが、心療内科医としての研修の一環として、患者さんに対する面接のやり方の指導を受けた時期があります。その指導内容は、面接場面でどんなやり取りをしたのかに関する一部始終を指導医たちに報告し、改めるべき点などを指摘してもらうのというものでした。
しかし、これが私にとって思いの外ストレスになりました。
それというのも当初、面接指導の目的は、心療内科医として必要な面接の技術や知識を取得するため、と理解していたのですが、そうではなくて、私自身の患者さんに対する対応や態度の再検討だったからです。
これはスポーツに例えると、新しい技術の取得ではなく、自分の体に染みつき習慣化しているフォームのチェックや修正といえるものです。
指導医たちが、問題点として指摘した事柄は、私が患者さんの話をちゃんと聞かずに、自分の思い込みを元に見当違いの質問や返事をした点や、逆に私が踏み込んで尋ねるべきところを避けた点などでした。
そうした問題点は、自分自身が気づくことがなかった自分の癖だったり、その場しのぎで済ませようとする自分の姿勢に由来するものだったので、指摘された内容はどれも「痛いところを突かれている」と感じるものでした。
このため、なんとかその場は冷静さを保って指導時間を終えるのですが、帰宅後、夜寝る時刻になってもいつまでも指導医たちとのやり取りが頭を占め、何をやっても気持が落ち着かず、イライラして家族にやつ当たりすることさえありました。
頭をよぎることは「あんなことを言わなければよかった」など、患者さんとのやり取りを悔いたり、指導医に対して「誤解された」といった不満だったり、「自分はこの仕事は向いていない」などの自己否定的な考えだったりでした。
念のために書いておきますが、私は、今でもこうしたトレーニングが面接技術の向上だけでなく、自分自身の生き方の再検討のためにも役立ったと考えています。また当時もそのつもりで臨みました。しかし心が揺れたり落ち込みむことが増え、日々の診療や日常生活に影響するほどになりました。
「感じで悩みを軽くする」私の体験 その2
そんなおり、ある医師仲間から「フォーカシングという心理技法の講習会があるので参加しないか」と誘われました。それれまで私はフォーカシングという言葉自体を知らなかったのですが、その医師から「フォーカシングというものは、体に生じる感覚に注目することで、自分の心理状態を理解する技法で、問題解決にも役立つらしい」という説明を受けたので、受講してみようと考えました。講習会は私の期待を裏切りませんでした。私よりも一回り若い講師の語りが「24時間フォーカシングに取り組んでいるのではないか」と思ってしまうほど情熱あふれたものだったこともあり、私は今すぐにでも試したいという気持になりました。
ただ、この講習会の内容はフォーカシングのほんの「さわり」だけで、細かい技法にまでには話が及びませんでした。それでも私は本格的に教わる日が来るまで待てなかったので、自己流で次のことを試してみました。
当時、私は通勤のため地下鉄に約20分間乗っていたのですが、帰宅途中の車中では、その日の出来事があれこれ頭をよぎることがよくありました。特に面接指導の後はとくにそれがいえ、指導医たちと交わしたやり取りなどが頭を占領してしまい、他のことが考えられないほどになることもよくありました。
なんとか気を紛らせて考えないように努めるのですが、いつのまにかやり取りが再び頭を占領してしまう状態でした。そんなときは決まって、喉が詰まった感じがし、胸には重苦しいもやした感じがしっかり根を下ろしていました。
そこでこの「もやもや」に自分の意識を向けることにしました。「もやもや」を取り除こうと試みたり、否定するのではなく「この感じがここにあるんだな」と感じるままにしておく態度(気持ち)を維持するようにしました。
しばらくの間「もやもや」に意識を向け続けていると、先程まで自分の意志ではコントロールできなかった「いろんな考えが頭を占領する状態」が緩和し、車外の風景をぼんやり眺めることも可能になりました。
そして電車を降りるころには平常心を取り戻し、家に帰った後も、つくろいだ気分で家族と話せるようになったのです。
私がこれから話そうとしている「感じ」を活用する方法の中身は、要するにこのとき私がやったことがほぼ全てです。
「感じ」で悩みを軽くする──練習編
自分が考えているのに止められない!?
職場でイヤなことがあった。せっかく練習したのに本番で失敗してしまった。
こんなとき、帰宅してのんびりしようと思っても、そのときの情景がよぎったり、怒りが収まらなかったり、自分を責めたりなどで、悶々とした体験はありませんか?
そして「もうそんなことを考えるのを止めよう」と思っても、そのことが頭から離れず、いつまでも悩んでしまう状態、つまり堂々巡りの悩みに陥ったことはありませんか?
これはとても不思議な現象ともいえます。なにしろ「考えているのは自分自身なのに、考えを止めようとしても自分では止められない」のですから。もっとも誰でも経験することなので、対処法もたくさん考えられています。
たとえば、何らかの気晴らし行為をする、友達に話す、考えないようにする、などです。しかし不首尾に終わることも多いと思います。
今から述べることも堂々巡りの悩みの対処法の一つです。考えを止めようとしても自分では止められない際にどうするか、という方法です。
この対処法のユニークなところは「悩んでいると、いつのまにか体にある種の違和感が現れる」という現象を活用して苦しみの軽減を図るという点です。
悩んだ際に体に生じるこの違和感は、悩みを長引かせる要因になりますが、逆にこの違和感が軽くなれば悩みも軽くなる性質があります。ここで述べる対処法は悩みと違和感とのこうした関係を利用するものです。
こうした心理的な意味を含まれている体の違和感には、フェルトセンス(感じられた感じ)という名前が付けられています。ただ、その呼び名はちょっと堅苦しいのでここでは単に「感じ」と呼ぶことにします。これから述べることはこの「感じ」を利用した、堂々巡りの悩みの軽減法です。
・ポイント 「感じ」とは心理的意味を含んだ体の違和感のこと
「感じ」を活用することで、堂々巡りの悩みを軽減できる
「感じ」はコツさえ掴めば、誰でも実感できる
「感じ」を感じる練習法
「感じ」は主に首や胸、お腹の辺りで感じられる、何らかの心理的意味を含んでいる身体感覚のことです。
ただそう言われても何のことか分からないでしょう。それというのも大半の人は、「感じ」に注意を向けた体験を持ちません。それどころか普段の生活では、痛みや凝りなど、明確な症状として現れるとき以外は、体の感覚に注意を向けることはごく稀といえるでしょう。
そこで、まずはいろんな体の感覚に触れてみましょう。その際に感じた感覚の一部が「感じ」です。 「感じ」が実感できさえすれば、それを活用するのは難しくありません。以下の順番で練習しましょう。
〔基礎練習〕
(1)(通常の)体の感じを確認する
(2)好きな人、嫌いな人を思い浮かべたときに生じる「感じ」を感じてみる
〔実践練習〕
(3)何かの事柄、出来事を思い浮かべたとき生じる「感じ」を感じてみる
(4)たった今ある「感じ」を感じてみる
(5)日々の生活に役立てる
〔基礎練習〕
(1)(通常の)体の感じを確認する
これは準備体操のようなものです。ゆったり座った姿勢で、体にどんな感覚が感じられるのかを確認します。目は閉じた方がよいでしょう。それというのは私たちの日常生活は、目から情報を得て、それを元に頭で考えるという作業の繰り返しですが、目からの情報を遮断すると、視覚以外の情報を求めやすくなるからです。
目を閉じた状態で、意識を頭のてっぺんから徐々に足の方に向けます。そして「ここは締めつけられた感じがする」「つっぱっている」「ひんやりしている」「ちくちくする」というふうに体の感覚を確かめていきます。
もし体全体というと、時間がかかり過ぎたり、範囲が広すぎて分かりにくいと思ってしまうようなら、掌(手のひら)や頭部(首から上)など、体のごく一部に限定しても構いません。
この作業はこれから体験する「感じ」との比較のために行いますが、「感じ」を活用する際の一種の準備体操として、また肩凝りや過度な緊張の改善法としても役立ちます。
(2)好きな人、嫌いな人を思い浮かべたときに生じる「感じ」を感じてみる
(2)-1 好きな人を思い浮かべる
楽な姿勢で目を閉じます。好きな人を一人、思い浮かべてみます。誰でもかまいません。もし好きな人が思いつかないなら、好きなペットや物でもかまいません。それに関する印象的な出来事や言葉、表情などを数分~10分程度の時間をかけて、できるだけ詳細に思い浮かべてみましょう。
それができたら、そのまま自分の注意を首や胸、お腹に向けてみましょう。すると思い浮かべる作業をする前には無かった違和感をその部分に感じるでしょう。
それをじっくり味わいます。それは胸のキュンとする感じだったり、お腹の温かさだったり、何かに包まれているような感じだったりするかもしれません。いずれにしても言葉にはしにくいけれども、確かに感じることができる感覚です。
さきほど、頭から足先までの体の感覚を確認したときに感じたものは、皮膚や筋肉などに生じた物理的生理的な感覚や症状の場合が多かったでしょう。しかし、これはそれとは違う違和感です。これが「感じ(フェルトセンス)」です。
(2)-2 体に生じた「感じ」を言葉にしてみる。
この「感じ」は言葉では言い表しにくい感覚でしょうが、あえて言葉にしてみましょう。できるだけこの「感じ」にぴったり合いそうな、言葉を探してみるのです。この作業は後ほど述べるフォーカシングを行うためには重要なのですが、ここではタグ(目印)探しぐらいのつもりでかまいません。タグを付けておくと「そうだ、あの感覚だったな」と思い出しやすくなるからです。
たとえはとりあえず、「胸キュン」「お腹の温かさ」「包まれる感覚」といった表現でかまいません。それができたらいったん終わりです。もう一度ゆっくり味わってから目を開けます。
(2)-3 嫌いな人を思い浮かべる
今度は嫌いな人を一人、思い浮かべてみます。誰でもかまいません。もし嫌いな人がとっさに思いつかないなら、嫌いな物や事柄でもかまいません。ただし、今はあくまで練習なので、嫌でたまらないといった人(事柄)よりは、もう少し嫌さが軽い、好感が持てない人(事柄)といった程度の方がよいでしょう。それというもの、嫌だという気持が強すぎると、その感情に圧倒されて肝心の「感じ」に気づきにくくなる可能性があるからです。
それに関連する印象的な出来事や言葉、表情などを数分~10分程度の時間をかけて思い浮かべてみましょう。
それができたら、そのまま自分の注意を首や胸、お腹に向けてみましょう。すると思い浮かべる前には無かった違和感がその部分に生まれているはずです。
それをじっくり味わいます。それは喉の締めつけられる感じだったり、胸騒ぎとでもいえる感じだったり、お腹がムズムズする感じだったりするかもしれません。
(2)-4 体に生じた「感じ」を言葉にしてみる。
好きな人での練習と同じように、嫌いな人を思い浮かべることで生まれた感覚を言葉にしてみましょう。その後は、好きな人でやったのと同じやり方で終えてください。
(2)-5 好きな人と嫌いな人とでは思い浮かべたときの感覚が違うことを確認する
嫌いな人(事柄)で生じたい感覚と、好きな人(事柄)で生じた感覚とでは違いがありますね。このように思い浮かべる対象が異なると「感じ」も違ってくるということを、交互に思い浮かべて確認してください。
二つの「感じ」の違いが十分、分からなかった人は、別の組み合わせで試してみましょう。たとえば、嬉しかったことと、腹が立ったこととの組み合わせ、あるいはラッキーと感じたことと、がっかりしたこととの組み合わせなどです。
これで基礎練習は終わりです。好きな人と嫌いな人を思い浮かべたとき、それぞれ異なる体の違和感が感じられるようになりさえすれば、「感じ」を活用した堂々巡りの悩みの軽減法は、ほとんど習得できたといってもよいほどです。この後は実際の場面に沿った練習に移りましょう。
「感じ」で悩みを軽くする──実践編
実践練習
ここからは実践練習です。最近、気になったことを一つ思い浮かべてください。
やり方は先程の好きな人でやったのと同じです。好きな人、嫌いな人で生まれた感覚とはまた違った、違和感を感じるでしょう。
そして、この違和感(「感じ」)とぴったりする表現や言葉を探しましょう。やり方としては、まず近いと思う言葉を探します。たいていの場合、最初に思いついた言葉は「近いけどちょっと違う」という気持になることが多いのですが「ではそれよりもう少しぴったりする言葉は~」という風にさらにぴったりするものを探します。
何度か繰り返すと「これがぴったりだな」と感じる表現が見つかることがあります。ただし、始めのころは「だいぶ近くなったけど、まだちょっと違う」という辺りまでで十分です。
ぴったりの言葉が見つかるとそれだけで「感じ」が変化することもよくあります。ただ今回はあくまで練習なので言葉が見つからなくても、また「感じ」が変化しなくても気にしないでください。数分~10分経ったら終わりにしましょう。
ちなみに先程も述べましたが、私自身がこのやり方を始めたばかりの頃は「感じ」に合う表現や言葉を探すことはせず、ただ「ここに、こんな感覚があるんだな」という態度で「感じ」に触れ続けることに専念したのですが、それだけの作業でも十分に気がかりの程度が減りました。
ただし後で述べますが、表現や言葉を探すことで、この手法をさらに発展させることができます。
(4)たった今ある「感じ」を感じてみる
これまで行った練習は、あることを思い浮かべて、それに伴って浮かび上がる「感じ」を感じる作業でしたね。今度はその逆をやってみましょう。
喉や胸、お腹の辺りに意識を向けます。そしてたった今、違和感を感じる部分を探します。「自分をすっきりさせてくれない感覚」や「注意を向けて貰いたがっている感覚」を探す、という態度で臨んでください。
違和感を感じたものが複数あるなら、その一つを選びます。このどれもが「感じ」とは言えないかもしれません。そうはいっても初めのうちはどれが「感じ」なのか分らないと思います。とりあえずは頭痛や肩凝りなど、症状と呼べそうなものや、明らかに物理的生理的な原因と思われる違和感は避けましょう。
それを避ける理由を簡単に述べておきます。私自身は練習の一環として、頭痛や肩凝りなどをあえて選び、しばらくの間、その感覚を感じてみたことがあります。そのときの感想ですが、ズキズキ頭痛の場合、その感覚を感じ続けるとかえって頭痛がひどくなることが多かったです。緊張タイプの頭痛や肩凝りの場合は、その感覚を感じ続けても、その強さや性状はあまり変化しませんでした。
このようにこうした感覚を味わい続けても、変化しなかったり苦痛がひどくなったりすることがあります。また心理的意味が見出せないことも多いため、初心者にはお勧めしません。
(5)日々の生活に役立てる
ここまでやれたなら、あとは日々の生活において実際に使って、身に付いたものにしてみてください。
くよくよ悩んだときだけでなく、何かすっきりしない気分になったとき、自分のコンデション確認のためなど、何でも構いません。そんなときに、首や胸、お腹の辺りに注意を向けてみます。そしてそのとき見つかった「感じ」をしばらく感じ続けてみるのです。悩みに巻き込まれている状態が改善したり、すっきりしない気分の理由が分かったりします。
「感じ」を実感できない人のために
先ほど述べたような練習をしても「感じ」を実感できない人もいます。私がこれまで指導した人の中にも、いろんな方法を試しても不可能だった例があります。
実感できない人は三通りのタイプに分けられます。タイプ別に述べてみます。
たんにコツが掴めていないだけ
だいたいの人はこのタイプで、要するに「コツ」が掴めていないだけです。たとえば木を見ようとしたとき、ほぼ全ての人は木の幹や枝葉に意識が向いてしまい、葉と葉の間の空間や、木によってできた影の存在には気づきません。しかしこうした部分に注目しようと思い付くだけで、簡単に見えるようになりますね。
これと同じように「感じ」はちゃんと存在するのですから、それに気づけばよいのです。これが「感じ」なんだ、といったん分かってしまえば、あとは簡単なのです。
ではどうすればよいのか? 自己流で構いませんので、以下のどれかを試してみてください。
その1:喉に注目
ストレスが多い毎日が続くと、いつのまにか喉が詰まっていると感じる人が多いようです。私の場合、普段の日でも喉に注目すると、喉ぼとけのあたりが窮屈だと感じたり、息を吸うと喉ぼとけの下の部分で空気が通りにくいと感じます。
個人差はありますが、特別ストレスがなくても、喉は違和感を感じやすい場所です。また今は感じられなくても、折に触れてこの部分に注目していると感覚が変化するのが分かるでしょう。
これが「感じ」なのか、それとも(通常の物理的生理的な変化に伴う)身体感覚なのか、といった区別にはこだわる必要はありません。それが自分にとって気になる違和感なら「感じ」として扱って構いません。
その2:胸の呼吸に注目
呼吸に伴う胸の感覚変化に注目しましょう。息を吸い肺が膨らんだとき、周りの組織はそれに押されることによる、さまざまな感覚の変化が生まれます。また呼吸に伴って変化する感覚とは別に、呼吸とは同期しない感覚も感じやすくなります。
複数見つかった違和感のうち、気になった感覚を「感じ」として取り上げればいいのです。ただし呼吸に伴う規則的で物理的と思われる感覚は、心理的な意味合いが少ないので、練習材料としては不向きです。
お腹に注目してみましょう。呼吸に伴ってベルトの部分が締めつけられたり緩んだりするのが感じられるでしょう。胃の辺りの重感や腸がグルグル動くのが分かるかもしれません。お腹は常にといってもよいほど違った感覚が出現する場です。
これに加え、脳腸相関という言葉があるぐらい、腸は緊張や興奮、抑うつといった精神状態を反映するので、なおさらです。
全ての感覚が「感じ」とは限りませんが、お腹の感覚の変化を観察してみるだけでも身体感覚を捉えやすくなります。 その4:微妙に体を動かしてみる
最初にやった、体の感覚を味わう実習においても、体の感覚がはっきり掴めない人もなかにはいます。この人たちは、自分の意志で作り出せる身体感覚を体験するところから始めるとよいでしょう。
たとえば手指を動かしたとき、それに伴って変化する身体感覚の範囲や程度を観察するという方法があります。指を動かすことによって、指の周りだけではなく、肘あたりまで、あるいは人によっては肩近くまでの筋肉や腱が動くのを感じることができます。
この感覚は大きく動かすと明確になり、小さく動かすと分かりにくくなるので、指の動きや速さを変えながら練習すると、かなり微細な動きまで察知できるようになります。
この他に、さきほどの指を動かす作業に近いのですが、椅子にゆったり座った状態で、右肩の付け根(肩と腕の境目)を一ミリだけ持ち上げるような気持になり、数秒後に息を吐きながら、その部分の力を抜きます(脱力する)。すると、僅かですが、肩の付け根から放射状に弛緩の波が広がるのを体験できるでしょう。
このポイントはあくまで、一ミリぐらい、またはごく僅かだけ持ち上げるような「気持になる」ことで、その目的は肩の付け根を実際に持ち上げることではありません。「肩の付け根を持ち上げよう」という意気込むと、余分な力が入ってしまいます。
この方法は体の力を抜くことでリラックスを図るという目的でも使えますが、ここでの目標は微細な身体感覚を味わうことが目的ですので、「一ミリぐらい、またはごく僅かだけ持ち上げるような気持になる」程度が丁度よいのです。
こうした物理的生理的に生じる微細な身体感覚を見つけて吟味する作業を丁寧に行った後で、喉や胸、お腹の部分で生じている感覚を味わうようにすると、物理的な身体感覚とは違う感覚、すなわち「感じ」が見つけらやすくなります。
感情に翻弄されて「感じ」が見つからない
二番目に多いのはこのタイプです。女性によくあるのですが、たとえば好きな人、嫌いな人の実習を行うと、好きな気持ちや嫌悪する感情で動揺してことがあります。
感情的になっている状態でも「感じ」はちゃんと存在します。ですからちょっと冷静になると、感情とはまた別に「感じ」があるのが分かるはずですか、自分の気持が感情に振り回されてしまうため、「感じ」を把握しにくくなっているのです。
好き嫌いの程度が弱い人(事柄)や、ちょっと嬉しかったこと、がっかりしたことなど、思い浮かべる対象を強い感情を伴わないものに代えて試してみてください。
もともと感じにくい
一方、もともと体の感じを知覚しにくい人もいます。このタイプは男性に多く、理屈っぽい人、こだわる傾向の人、いつも何かをしていないと落ち着かない人、逆に覚醒度が低い人などに見受けられます。
なお、これに関連するものとして、失体感症やA型行動パターンがあり、これは次項で触れます。また認知症や統合失調症、強迫性障害、うつ病などの一部の患者さんにも見受けられます。
こういう人でも練習しだいで「感じ」が分かるようになります。また「感じ」がわかるようになることで、こうした問題の解決に繋がる可能性すらあると、私は考えています。
まずは自分の意志で作り出せる身体感覚を体験するところから始めるとよいでしょう。そのやり方は「その4:微妙に体を動かしてみる」に書きました。
参考:失体感症、A型行動パターン
「感じ」を捉えるのが困難な例として、失体感症があります。
失体感症は心療内科のパイオニアである池見酉次郎先生が提唱した概念です。失体感症の人たちは温冷感や痛覚、触覚などの他、疲労感や眠気なども自覚しにくく、また本来あるはずのこうした感覚に対して、言葉で表現したり適切な反応を取りにくい、とされています。
ただしまだ定義がはっきりしない概念のため、その程度には差があり、ほぼ健康な毎日をすごしている人から生活に支障を来している人までいるようです。
この他、感じにくい人の例として、A型行動パターンといわれる性格特徴があります。
この人達は野心的で精力的、仕事熱心、せっかちといった性格傾向があり、心筋梗塞や狭心症になりやすい(リスクファクター)とされています。いつも意識が外的なことに向かうため、身体感覚に気づきにくいのでしょう。
こうした人の場合、身体感覚に注意を向けるという習慣を身に付けるだけでも、病気になる確率を減らせる可能性がありそうです。
「感じ」をどう活用するか──フォーカシングという心理技法
先程も話しましたが「感じ(フェルトセンス)」を利用する方法は私のオリジナルではなく、フォーカシングという心理技法の一部です。
そこで、フォーカシングの詳細な紹介は後回しにして、ここでは代表的なフォーカシング実践的研究者が「感じ」をどう利用しているのかに絞って簡単に説明しておきます。
・ジェンドリン
フォーカシングを開発したE.T.ジェンドリンは、「感じ」自身が一つの意味や意志を持つ存在であるかのように「感じ」を扱い、セッションを進めます。私も「感じ」に意味や意志があるとする見方には賛成ですが、これを実際に毎回、実感できるとも思っていません。
それでも、フォーカシングを何度も体験したり、また経験豊かなガイド役(治療者)の助けがあれば、今、体に生じている「感じ」にどんな意味があり、「感じ」がどうしたがっているのかを理解したり実感できることが多くなります。
私自身がフォーカシングのセッションを受けた経験でいえば、「感じ」があるという体験はぼ毎回、味わえましたが、「感じ」の意味やその意図については、全く分からないままセッションを終了することも少なくありませんでした。
このため、とくに初心者や、ガイド役なしで一人でやる場合、「感じ」の意味や意図を毎回知ることができるといった期待はしない方がよいと考えます。
・コーネル
こうした点を配慮したのか、ジェンドリンの直弟子ともいえるA.W.コーネルは、フォーカシングのセッションにおいて「感じ」の意味や意図を直接的に知ろうとはせず、代わりに「感じ」に対して、悩んでいる友達の横に座っているような気持で接することを提唱しています。
これに加えて、「感じ」対して温かく見守るようなスタンスを維持すること、そして「感じ」に巻き込まれない程度の距離を取ることも大事なポイントだとしています。
このスタンスはカウンセリングの代表的な技法でもある支持的精神療法において、カウンセラーが患者(依頼者)に対して取る態度に似ています。
私もこうしたものが自分一人で「感じ」を味わう場合においても取るべき態度の原則だと考えています。
ただし「悩んでいる友達の横に座っている」ようなスタンスがいつも取れるとは限りません。それというのも、「感じ」がいつも心地良いものであるとは限らず、「取り除きたい」とか「早く無くなってほしい」といった気持になる不快な違和感であることもよくありますし、特に悩みや心配が深刻なときには、「感じ」に触れること自体に苦痛を感じることも多いからです。
そんなときには私がやったように「ここにこんな感じがあるんだな」と感じ続けるだけにした方がよいでしょう。もっとも悩みや心配事が頭を占領している状態で体験してもらえば分かると思いますが、考えが頭を占領している状態よりは、たとえ不快な違和感であっても、「感じ」に触れ続けている状態でいる方が「まだ楽」だと実感できることもよくあります。
堂々巡りの悩み。認知行動療法ならどうする?
「感じ」を感じたからといって、それにどんな意味があるのだろう、と疑問に持つ人もいると思います。そこで、代表的なカウンセリングの技法である認知行動療法と比較しながら検討してみましょう。
もともと認知療法はうつ病に対し、認知の歪み(不合理な見方や考え方)を修正する技法としてスタートしました。その後、言葉でのやり取りだけでなく、行動修正を併用すると効果的であるとされ、認知行動療法として発展し、またうつ病以外の病気に対しても適用されるようになりました。
認知行動療法では堂々巡りの考えに対し、反芻思考(ぐるぐる思考)という名前が付けられています。ただしこの反芻思考への定まった対処法があるわけではないようで、ネットで「認知療法、反芻思考、対処法(治療法)」などと検索すると、以下のような対処法が見つかりました。
言葉にしてみる。スマホや紙に書く
「これは反芻思考だ」「ストップ」「ポジティブに」などと唱える
歌を歌うなどで気をそらす
体を動かしたり散歩する
自分の体に触れる
反芻思考の原因を避ける
これらの方法をざっくりまとめると、まずは堂々巡りの考え(反芻思考)だと認識し(気づき)、合理的思考を働かせ、言葉にしたり体を動かすなどの行動でその阻止を試みるようです。私はこうした方法を否定するつもりはなく、自分に合うと思うなら積極的に活用すべきだと考えます。
「感じ」の意義──人は「気にかかる」ので悩む
では具体例で検討してみましょう。たとえば、クラスメイトから厭味を言われた。仕事でミスをした。子供の将来が心配、などがきっかけで堂々巡りの悩みに陥っているケースです。
そうした問題で悩んでいる人を目にすると、つい「そんなこと、大したことじゃあない」「それは済んでしまった過去の出来事。しかたがないことさ」「不確かなことを延々と考えるのは時間の無駄だよ」などと、慰めたり励ましたりしがちです。
また認知療法なら、認知の歪みなど、合理的とはいえない思考パターンを指摘するかもしれません。
確かにその通りでしょう。しかし、それらの励ましや指摘が正しいと本人が自覚しても、やはり悩み続けるものです。
ではなぜ悩み続けるのでしょうか? それはその悩み事に対して「気にかかる」感じが消えないからです。つまり「気がかり」が変わらない限り、つい悩んでしまうのです。
認知行動療法は、行動によって「気がかり」から別のことに注意を向けることで、反芻思考を止めることを狙います。つまり、このやり方は「気がかり」自身には焦点を向けません。
気がかりとなった事柄は、重要ではなかったり、単なる杞憂だったり、認知の歪みだったり、かもしれません。しかし、そのときの当人にとっては、重要な懸案事項なので、気にかかるのです。
なので、できれば気がかりの対処法としては、別のことに注意を向けることで消し去るのではなく、気がかり自身が発展解消へと向かうのが望ましいはずです。ここで述べている「感じ」を活用する方法は、そうしたことを狙います。